![]() リノサマ連長から、「奴連の広報をしてほしい。」といわれ引き受けたものの何をしていいものか、よく分かっていない私タイコだった。
何でも、安請け合いをして後で後悔するのは職場でもよくあることです。
それからしばらくして、リノサマ連長がパソコンを購入しました。この話を聞いてビックリしたのはタイコだけでないだろうと思います。「えらい高いもん買うてなんに使うんだろう」周囲のいらん心配をよそに「ウキウキ本舗に奴連の画像がのっとるぞ。見たか?」とおっしゃるのです。この画像は広報その2が送り込んだ舞台で踊る奴連の編集ビデオであった。(このことから分かるように、奴連において広報らしい仕事を先にしていたA広報その2が本来奴連の広報部長を名乗るべきであるが、何かに付けおくゆかしいA氏自ら広報その2を名のり、何かに付け厚かましいタイコが広報第一部長を名乗ったのであります。)
また、ある日リノサマ連長が「奴連にも、ホームページがあったらええなあ」と言うのであります。
当事は、阿波踊り連でHPを持っていたのは4~5連だったようにおもいます。
これには「ほんまにHPあったらええだろなあ。」と相づちだけは、打っておきましたが「また、なんか言うとるな」ぐらいでその時は聞き流していました。
そんなこんながあってからH13年の5月頃、那賀川町の大きな電気屋(H電気でないK電気)に買いもんに行ったときホームページのソフトがおいてありました。5,000~6,000円だったかなあ。
「絶対できる。だれでもできる。解説書付き」って書いたあるんで思い切って買いました。
(連長の言よったことを覚えとったタイコはえらい。)
家に持ってかえって、早速、奴連のホームページを作りはじめました。見本があったのでわりと簡単に作業は進みました。(奴連のホームページの表紙ができたのです。表紙ができれば7~8割はできたのも同じです。
このようにしてリノサマ連長の有名連と肩を並べたいという見栄と、K電気でのタイコの衝動買いで奴連のホームページがはじまりました。(以下次号)
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